こんにちは!半田貞治郎です。
高石ともやさんが82歳で逝去しました。日本のフォークソング界の草創期から活躍し、京都を拠点に活動を続けた彼の生涯は、日本の音楽史に深い足跡を残しました[1]。
北海道出身の高石さんは、立教大学在学中にボブ・ディランらの影響を受けてフォークソングを始めました。1966年、大阪で初ステージを踏み、同年12月にシングル「かごの鳥ブルース」でデビューしました[1]。
高石さんは、社会の矛盾や不条理を歌うメッセージソングの先駆者として知られ、特に関西を中心に多くの支持を集めました。1968年には「受験生ブルース」がヒットし、関西フォークの旗手と呼ばれるようになりました[1]。
一時活動を休止した後、1971年に「ザ・ナターシャー・セブン」を結成し、京都市内に事務所を構えて活動を再開しました。全国各地で野外コンサートを開催し、多くのファンを魅了しました[1]。
高石さんの活動の中でも特筆すべきは、1973年から東山区の円山公園音楽堂で開催された「宵々山コンサート」です。タレントの永六輔さんと共に進行役を務め、渥美清さんや三波春夫さんなど多彩なゲストを招いて盛り上げました。このコンサートは、一時中断を挟みながらも長年にわたって京都の夏の風物詩として親しまれました[1]。
音楽活動だけでなく、高石さんは30代からマラソンにも情熱を注ぎました。特に米国・ハワイのホノルルマラソンには1977年の第5回から参加し、外国人最多となる計47回の完走を果たしました[1]。
高石さんの最後のステージは、2024年4月29日に東京・浅草で行われたコンサートでした。その後、6月17日午後3時半、膵がんのため京都市内の病院で82年の生涯を閉じました[1]。
高石ともやさんの音楽は、時代の空気を鋭く捉え、多くの人々の心に響きました。彼の残した楽曲と精神は、これからも日本の音楽界に大きな影響を与え続けることでしょう。
Citations:
[1] https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu202202.php
[2] https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WTokushuShosai.do?tokushuId=1531
[3] http://www.zaitsukazuo.com/info/
[4] https://guide.air-u.kyoto-art.ac.jp/guide/9820
[5] https://syukatsu-kaigi.jp/companies/44254/entry_sheets
[6] https://kyoto-min-iren-c-hp.jp/resident/roshidoi/index.html
[7] https://kutarr.kochi-tech.ac.jp/record/2000061/files/1218007.pdf
[8] https://www.kyushu-u.ac.jp/f/56818/%E3%80%90%E5%85%A8%E4%BD%93%E3%80%91%E6%95%99%E5%93%A1%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF2024.pdf