こんにちは!半田貞治郎です。
1980年代、女子プロレス界に一大旋風を巻き起こしたダンプ松本。彼女の波乱万丈な人生と、ヒールレスラーとしての成功譚が、テレビ番組で明かされました。
ダンプ松本は1980年、本名の松本香として全日本女子プロレスでデビューしました[2]。しかし、彼女の真価が発揮されたのは1984年、「ダンプ松本」と改名し、ヒール軍団「極悪同盟」を結成してからでした[2][3]。
当時、女子プロレス界では「クラッシュギャルズ」(ライオネス飛鳥と長与千種)が人気絶頂でした。ダンプ松本は、後輩のブル中野らと組んで彼女たちと激しい抗争を繰り広げ、女子プロレスブームを一層盛り上げました[2][3]。
ヒールレスラーとしての成功は、ダンプ松本の人生を劇的に変えました。新人時代は給料が安く、「タバスコライス」という貧相な食事で凌いでいたそうです。チャーハンのように炒めた米にタバスコをかけ、それをおかずに白米を食べるという、まさに苦学生のような食生活でした[3]。
しかし、ヒールとして人気が出始めると、状況は一変します。ダンプ松本は「2年目に寮を出られるようになると、ギャラが少し高くなる」と語っています。そして驚くべきことに、人気ヒールとして確立されると、わずか1ヶ月で月給が200万円も上がったと告白しています[3]。
この劇的な収入の変化に、ダンプ松本自身も「びっくりした。殴るとお金もらえるんだって思って」と笑顔で振り返っています[3]。この言葉からは、プロレスの世界での成功に対する彼女の率直な驚きと喜びが伝わってきます。
ダンプ松本の成功は、彼女の才能とキャラクター作りの巧みさを示すものです。観客から「ダンプみてえだ!!」と言われたことがきっかけで「ダンプ」というリングネームが生まれたという逸話も、彼女の個性的な存在感を物語っています[2]。
女子プロレス全盛期を支えた立役者の一人として、ダンプ松本の功績は大きいものがあります。彼女の経験は、エンターテインメント業界での成功には、時には型破りな方法や、観客の心を掴むキャラクター作りが重要であることを教えてくれます。
Citations:
[1] https://www.tbs.co.jp/tv/20241228_62EE.html
[2] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%97%E6%9D%BE%E6%9C%AC
[3] https://hochi.news/articles/20241229-OHT1T51166.html
[4] https://tvablog.tv-asahi.co.jp/reading/logirl/
[5] https://www.weblio.jp/content/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%97%E6%9D%BE%E6%9C%AC
[6] https://www.youtube.com/watch?v=K8SplAnFkwE
[7] https://post.tv-asahi.co.jp/post-162557/
[8] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3
[9] https://news.yahoo.co.jp/articles/f554e5df64ca14173c1c4b6dbd013c4354c101bd