こんにちは!半田貞治郎です。
稲川淳二さんは、30代後半に先天性障がいのある次男・由輝さんを授かりました。由輝さんはクルーゾン症候群という難病を抱えており、生まれてすぐから頭蓋骨の手術を何度も受けなければなりませんでした[1]。
しかし、由輝さんは常に笑顔を絶やさず、周囲の人々を和ませていました。運動会では黄色いゼッケンをつけて一生懸命走り、鉄棒にも挑戦するなど、できることは何でもやろうとする前向きな姿勢を見せていました[1]。
稲川さんは、息子の障がいについて隠すことはしませんでした。当時は障がい児を持つことを公表する著名人が少なかった時代でしたが、稲川さんは聞かれれば素直に答えていました[1]。
一方で、メディアの中には無礼な対応をする者もおり、入院中の息子の写真を無断で撮ろうとして医師に怒られるなど、プライバシーを侵害しようとする事例もありました[1]。
家族にとっても大きな試練でしたが、稲川さんは「一番苦労したのは本人」だと語っています。妻が主に息子の世話をする中、稲川さんは家族を支えるために仕事に打ち込みました[1]。
この経験を通じて、稲川さんは障がい者支援に対する思いを強くしていきました。その思いが、後に「稲川芸術祭」という障がい者アーティスト発掘のためのプロジェクトにつながっていきます[2][3]。
稲川芸術祭は、精神・知的・身体などの障がいを持つパラアーティストの育成を目的としたプロジェクトです。参加者から自由な発想でアート作品を募集し、「稲川オンライン美術館」で紹介するほか、すべての参加作品を掲載した絵画集を制作しています[2][3]。
最優秀作品には「稲川賞アワード」が授与され、2024年度は稲川さんの喜寿を記念して特別な"パープルちゃんちゃんこ"が贈呈されます[2]。このプロジェクトは、障がい者アーティストのレガシーを日本の文化的資産として永久に保存し、後世に伝えることを目指しています[2][3]。
稲川さんは、障がい者支援の講演活動も長年行っており、「彼らは私たちが持っていない優れた才能をいっぱい持っている」と語っています[2]。稲川芸術祭を通じて、次世代を担う優れたアーティストの作品を日本中に発信し、誰一人取り残さない世界への一歩を目指しています[2]。
このように、稲川さんの個人的な経験が、障がい者アーティストの支援という形で社会に還元されています。稲川芸術祭は、障がい者の才能を発掘し、彼らの作品が企業や商品のデザインに採用されるよう働きかけるなど、長期的な視点で障がい者の社会参加を促進する取り組みとなっています[2][3]。
Citations:
[1] https://www.inagawa-art-festival.com
[2] https://camp-fire.jp/projects/770603/view
[3] https://camp-fire.jp/projects/684330/view
[4] https://j-inagawa.com/information/art-fes.php
[5] https://twitter.com/Junji_Inagawa/status/1828049218029883580
[6] https://chanto.jp.net/articles/photo/1005591?imgindex=1
[7] https://news.yahoo.co.jp/articles/f6e91964a952b4882c97983f884508c5733c61cb?page=3
[8] https://chanto.jp.net/articles/-/1005591?page=2